忌野清志郎



坂本冬美デビュー当時からその魅力を認め、演歌以外の世界に導いた恩人である。

yume2.jpg(227502 byte)

坂本冬美のオフィシャルサイトのバイオグラフィのページには、デビュー早々の1987年3月21日に「忌野清志郎の初ソロコンサートに花束プレゼント」とある。

デビュー間もないころ、東芝EMIのロビーで評論家相手にデビュー曲「あばれ太鼓」を歌った際、たまたまロビーの中二階でインタビューを受けていた忌野清志郎が耳にし、おもしろい子がいると思ったそうである。その後、清志郎は今注目しているシンガーとして坂本冬美の名前を上げていた。

翌1988年、RCサクセションのアルバム「COVERS」(カバーズ)4曲目「シークレット・エージェント・マン」 (Secret Agent Man)に坂本冬美がヴォーカルとして参加している。

1990年4月28日 大阪城野音で開催された東芝EMIの創立30周年記念イベント「ロックの生まれた日」でSMIとして共演

1991年7月19日 HISとしてアルバム「日本の人」リリース

2005年7月27日 マキシシングル「Oh, My Love~ラジオから愛のうた~」リリース

2006年2月25日 大坂城ホールで開催された「 新・ナニワサリバンショー」でHISとして初めてのライブ演奏

2006年7月13日 喉頭癌で入院、2008年には活動を再開するも癌が再発

2009年5月2日 死去(享年58歳)


「ミスター・ハイファッション」2000年12月1日版に忌野清志郎登場。

「忌野清志郎の友人たち」の一人として坂本冬美登場。他には、永瀬正敏、ゆず、ギターウルフ、篠原涼子、竹中直人。
清志郎から冬美へのコメントとして、「演歌だけじゃなく、ほかのジャンルにも挑戦してください」とある。

ミスター・ハイファッションから ミスター・ハイファッションから



2013年04月24日に放送されたTOKYO FM「坂本美雨のディアフレンズ」に坂本冬美がゲスト出演
清志郎について語っていた部分を抜粋

「花はただ咲く」のエピソードを語り、曲を聞いた後で、

美雨さん「こういったポップス、演歌ではない曲にチャレンジする時、どういうふうに歌と向かい合われるんですか?」
冬美さん「必ずその時にはわたし清志郎さんを思い出すんですけども、話せば長くなるんですが、HISを一緒にやった時に、まず声をかけていただいて、ロックの方とどうやって一緒に唄えばいいんだろうと思って質問したんですね、どういうふうに唄えばいいですか?いや冬美ちゃんは冬美ちゃんらしく、コブシも回していいし、うなってもいいし、冬美ちゃんらしく唄えばいいんだって言ってくださったんですね、その言葉をいつも思い出しながら、わたしがそちらのジャンルの方に行くんじゃなくって、そういうものを自分の中で消化しつつ、自分らしさをしっかりと表現出来ればって、無理にロックを歌うからってロック歌手のようなまねをする必要はないんだなって思ってますので、自分らしさっていう意味ではなにも曲調が変わっても変えてないですね、ただ例えばちょっと前に出したまた君に恋してるみたいな、ああいうものはコブシはもちろん出さないですし、そういうものもありますけども、意外とよく聞くと変なところにタメがあったり間が・・・ちょっと演歌っぽいところが残ってると思うんですね、逆にそれが私らしさだと思うし、むりに合わせることはないのかと思ってるんですけど」
美雨さん「そうなんですね、今お話に出たHIS!このほんとにビックリしたユニット、メンバーは忌野清志郎さんとYMOの細野晴臣さん」
冬美さん「おじちゃま!?」
美雨さん「おじちゃま(笑)と、冬美さん!3人で組まれたユニットでしたけれども・・・もう20年くらい?22年位たってるんですね」
冬美さん「22、3年になりますねぇ、まだおいくつくらいですか?」
美雨さん「10歳でしたね」
冬美さん「ですよねぇ」
美雨さん「でもホントに鮮明に覚えていて、このアーティスト写真と言いますか、皆さん学生服で・・・」
冬美さん「恥ずかしかったァ、これは恥ずかしかった!」
美雨さん「冬美さんこの時は・・・?」
冬美さん「23歳か4歳・・・23歳くらい」
美雨さん「忌野清志郎さんと細野晴臣さんと冬美さん、このユニットはどんなことをやろうとして作られたんですか?」
冬美さん「実はその前の年に、私清志郎さんと同じレコード会社で、レコード会社のイベントとしてロックの生まれた日っていうのがあって、その時に冬美ちゃん出てよって言われたんですね、えー!でもそんな機会はないからよし出てみようと、でもセーラー服着てねって言われて、えー!ちょっと学園祭のノリでって、あっ!なるほどと思って、でも逆に着物で私いつも歌ってましたんで、逆にセーラー服着たほうが開き直れるかもしれないと、堂々と開き直って丸いめがねかけて、なんて言うんですか、ちょっとまじめな子風の・・・」
美雨さん「音楽少女的な?」
冬美さん「的な感じで、そしたらなんとなく気持ちよく歌えたんですけども、その流れでHISが生まれたんですけども」
美雨さん「それでこのアルバム日本の人」
冬美さん「でもね私のセーラー服と清志郎さんの学生服もすごいけど、細野さんの学生服はこれは渋かった!(笑)」
美雨さん「細野さんはまだヨーダじゃないですからね、その時代」
冬美さん「え?ヨーダって?」
美雨さん「スターウォーズのヨーダっていう・・・」
冬美さん「はいはい!きゃはは!似てますもんね!えっ本人に言っちゃってるんですか?」
美雨さん「言ってない・・・な、内緒でお願いします」
冬美さん「あ!内緒で・・ま、確かに(笑)」

「パープルヘイズ音頭」を聴いて

美雨さん「清志郎さんはやっぱりこういう冬美さんを引き出したかったんでしょうかね?」
冬美さん「ホントにこの歌はまさに自分らしく思いっきりやってくださいという感じでしたね、音頭になっちゃたんですからパープルヘイズが(笑)」
美雨さん「しっとりと歌われているのではない冬美さんの表情とか、チャーミングさをたぶんぐっとプロデュースしたかったのかなってちょっと思うんですけども、こういう素の表情を見せるというのはこのときは勇気がいったと思うんですけど」
冬美さん「ん!ホントに着物を着て演歌を、鎧をつけて歌ってるっていう感じでしたから、ホントにすべて脱ぎ捨てて、大変身して、ある意味ホントにすべてを出し切ったっていう感じ、見せちゃったみたいな感じはありましたね、でも私はレコーディングだけ行くわけじゃないですか、でもこの曲作りを、これも後で知った話なんですけど、お二人が夜な夜なチョコなんかを食べながら、一緒にああじゃないこーじゃないっていいながら音を作っていったそうなんですね、なんかそんなのを聞いたらホントに学生の、みんなで遅くまで曲作りをしてっていうような、そういう風にある意味楽しんでらっしゃったのかなって思うんですけども、あー懐かしい!」



週刊現代20160312号_有名人からの贈り物
清志郎からプレゼントされたギター

HIS03.jpg(606392 byte)



「Hana」と題された坂本冬美のブックレット
デビュー4年目までの写真を集めた非売品のミニ写真集

hana_cover.jpg(252989 byte)

その中に忌野清志郎が坂本冬美に送ったメッセージが掲載されている
「(親愛なる冬美へ)To My Sweet,FUYUMI」と題された1990年03月16日付の一文
1990年4月28日に大阪城野音で開催されたイベント「ロックの生まれた日」でSMIとして共演する1ヶ月ほど前
まるで清志郎が歌っているようである

hana_kiyoshiro.jpg(706893 byte)



1995年に忌野清志郎デビュー25周年記念として出版された「忌野清志郎画報 生卵」
この中で清志郎自ら坂本冬美をメイクアップ
キヨシロースタイルに仕上げた写真が公開された

makeup.jpg(5110986 byte)



inserted by FC2 system