休業



1996年、坂本冬美にとって10周年の記念の年、大みそかには紅白歌合戦で紅組のトリを飾った。
「絶頂期!」誰もがそう思っていた時期、そのころから体調を崩し坂本冬美は休業をすることを考えていた。

1987年に19歳でデビュー、数々のヒットを生み、年間200ステージ以上の公演を行う過密スケジュールで駆け抜けてきた。
1993年には坂本冬美の恩師でありプロデューサーでもあった猪俣公章、東京のお父さんという存在を亡くし進むべき道に迷った時期もあった。
1996年11月には直前にコンサートをキャンセル、虫垂炎の緊急手術、数ヶ月の間痛みを我慢してきたため腹膜炎を併発する寸前だった。
1997年3月急性膵炎で緊急入院。体が悲鳴を上げていた。点滴を受けながらハードスケジュールをこなしていた。

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退院後、NHKの歌番組で美空ひばりの「柔」を歌った。これまで何度も歌ってきた歌なのに自分の思うように歌えなかった。
悔しかった。番組のエンディング「川の流れのように」では歌詞が自分自身と重なり一人泣き出してしまった。

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それ以来、生放送ではプレッシャーに対して異常な緊張を起こすようになっていった。
そして同じ年10月には父親が突然の事故死、悲しみに暮れた。

事務所には「休ませてほしい」と申し出ていたが、売れっ子の坂本冬美のスケジュールは2年先まで埋まっていた。

そんな状況の中、人生の応援歌も心を入れて歌えない。気持ち乗せると感極まって歌えなくなる。
喉だけで歌っていたという。「仕事を消化するのに精いっぱいだった」と語る。
肉体的、精神的に限界だった。歌うことが怖かった。ファンの一人から、「最近歌を聴いても前のように感動しない」と言われ、このままではいけないと休業を決めた。
スタッフと協議し15周年を区切りに休養に入ることに決定した。

2001年12月会見を行い、休業を宣言。
「しばらくお休みさせていただきます」と、引退の言葉はなかったものの、期限を明示しないものだった。
自分自身は99%引退だと思っていたという。

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大みそかの紅白では「凛として」を歌唱。ふっきれたようなすがすがしい表情で歌い切った。

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2002年4月から休業に入った。

最初はのんびりと田舎で過ごした。
それまで薬が手放せない生活だったのに、うそのように楽になった。心の病だったんだと納得した。
坂本冬美は「自分程度の歌手ならいなくなって時間がたてばみんな忘れて自然消滅する」と思っていた。

しかし世間は騒がしかった。
重病説、妊娠説、死亡説。
中村美律子は和歌山在住の人から「坂本冬美の葬式に行ってきた」と言われ驚いたそうだ。
坂本冬美の和歌山の自宅前にはマスコミが押し寄せ、しばらくは実家に帰れなかったそうである。

色々なところを旅をした。アメリカにも渡った。

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坂本冬美は本名なので温泉宿などでは姪っ子の名前を使っていたとか。
和歌山の実家で過ごしている間、藤あや子の公演が関西で行われた際には、裏方として手伝ったこともある。
友達と車を運転して大阪方面に遊びに行くこともあった。
その間、いっさい歌うことはなかった。
髪の毛も短くカットしていた。

しかし、歌は忘れられない。坂本冬美の心は揺れ動いていた。 ある日、母親から「TVで二葉百合子さんが歌っている」と聞き、65周年記念コンサートで歌う二葉百合子を目にした。
これまで何度も聴いてきた「岸壁の母」
坂本冬美は衝撃を受けた。

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「歌しかない!」
一筋の光を見つけた。

二葉百合子宛てに手紙を書いた。

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手紙を受け取った二葉百合子から「すぐいらっしゃい!」と連絡があり、二葉のもとに飛んで行ったそうである。
二葉百合子と対面した坂本冬美は、二葉百合子から「あなたも歌の壁にぶつかったのね」と言われた。「あなたも」という言葉を聞いて、「先生もですか?」と聞き返したそうだ。「何度も何度も壁にぶつかり、それを乗り越えてきた」と語る二葉百合子の言葉に坂本冬美もふたたび立ち上がる決意をしたのである。

二葉百合子は訪ねてきた坂本冬美を最初見た時は寂しく見えたという。
1日7時間、3日間話し合った。坂本冬美の目に光が戻ってきた。
その後、一から浪曲の発声練習から始め、毎日毎日のどがかれるまで練習を積み重ねていった。
二葉百合子に浪曲の稽古をつけてもらいなんとか声がでるようになり、稽古の帰りに車を運転しながら「夜桜お七」の「さくら」のフレーズを口ずさんだ時、「声が届いた」感じがつかめて復帰を決心したそうである。

2003年3月復帰会見を開いた。

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坂本冬美が復帰後はじめて出演した2003年4月1日のNHK歌謡コンサート。
坂本冬美は夢のなかにいるような感覚、宙に浮いているような感じだったと語っている。
家に帰ってVTRを見てはじめて帰ってきたんだと思った。
一緒に出演した香西かおりから「冬美ちゃん、元気な顔見せるだけでいいんだよ」と声をかけられ少し余裕ができたそうである。
二葉百合子は坂本冬美の復帰ステージをTVの前で祈るような気持ちで見ていた。

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6月24日にはNHKホールで因縁の「柔」を歌唱。そこには自身に満ち溢れた坂本冬美の姿があった。

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