背のびして見る海峡を


1997年に発表された猪俣公章の思い出を語った作品
「いのさん」「おっかぁ」と呼び合う仲
先に逝ってしまった戦友に対する山口洋子のラブレターか

この作品の中に山口洋子から見た坂本冬美が描かれているので抜粋する

色白で気の強そうな、きりきりした子だった。
坂本冬美の芸名を考えているとき、偶然、側に居た。本名の坂本冬美がいちばんだと、ためらいなく力説した。
あまり無駄口は叩かないし、要領を使ったりするタイプでもない。黙々と掃除をしたり犬の散歩や買物をこなしている細い背中からは、プロの歌手になりたいという理想だけがひしひしと伝わってきた。
猪俣さんの気まぐれで突如歌ってみろとピアノの横などで歌わされていたが、正直なところ、よく判らなかった。喉が開ききれていない気がしたし、音色にもさほど天性のものは感じなかった。それでも先生が心底可愛がっているのを知っていたので、着なくなった毛皮のコートを進呈したりした。彼女はそのコートを着なかった。駆け出しの新人が毛皮など着るもんじゃないと、誰かに教えられたらしい。いまとなっては、あまりに古くさくなって袖も通せまい。
化けるという表現があるが、文字どおり坂本冬美は化けた、のだ。
それはまるで猪俣公章の一念、低迷していた時期の積もりに積もった怨念が、彼女に乗り移って花開いた感じだ。
いまだに彼女の歌唱は私にとって未知な部分があるのだが、演歌スターとしての品格、器用さはどこを押してもたいしたものだと思う。森進一の歌いかたが星野哲郎氏のいわれるとおり猪俣さんの口伝なら、坂本冬美の凛とした、寒風椿一輪という存在感は、演歌に対する猪俣公章の姿勢の精神伝授だろう。
有名になるにつれ、冬美、冬美で夜も日もあけなくなった。彼女の履きものを玄関で揃えているのを見て、よしてよと手を叩いた。あ、夢から覚めた顔をした。知らず知らずやっていたらしい。
(猪俣公章の臨終に立ち会い)あとから来た坂本冬美に、先生の耳もとで大声で歌えなどとも口走った。

senobi.jpg(46679 byte)
inserted by FC2 system