猪俣公章



坂本冬美の師匠である。

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1986年、NHK「勝ち抜き歌謡天国」の審査員として坂本冬美と出会う。
プロの作曲家と素人が組んでの歌合戦である。
番組収録前に初めて顔を合わせた猪俣はマスクをしていた。坂本冬美が風邪ですかと尋ねると、「転んじまってよう」とマスクを取って唇にできた傷を見せたそうである。さびしがり屋でお酒が好きな先生だったと坂本冬美は言う。当日もほろ酔い気分での収録であったらしい。

猪俣公章というと森進一の「女のためいき」「港町ブルース」「おふくろさん」、テレサ・テンの「空港」、藤圭子の「京都から博多まで」、水原弘の「君こそわが命」など多くのヒット曲の作曲家として知られているが、この時期はヒット曲にめぐまれずスランプの時期だった。

この番組で坂本冬美は石川さゆりの「波止場しぐれ」を歌って優勝した。 作詞家のたかたかしも審査員としてその場に立ち会っていたが、「たかちゃん、たかちゃん、どう!?どう!?」と興奮して駆け寄ってきたそうである。自身低迷していた中で坂本冬美を見出したことがよほどうれしかったのだろう。
石川さゆりは、猪俣公章から「すごい歌の上手い子がでてきたんだ」と、坂本冬美が歌う「波止場しぐれ」のテープが送られてきたと語っている。

番組終了後、猪俣からの連絡を受け坂本冬美は上京。内弟子としての住み込み生活を始めるのである。
内弟子生活では毎朝の愛犬「りゅう」の散歩から、掃除、洗濯、食事の支度、ベンツの運転手まで務めた。
歌のレッスンはデビュー曲が決まるまではほとんどなかったそうである。もっぱら六本木のクラブで飲んでいる師匠を待つ車の中での自主練であった。突然、客の前に呼び出され歌えと言われて歌い、「へたくそ」と言われ涙する日々だったようである。
楽譜が読めなかった坂本冬美は楽譜の読み方から教えてほしいと頼んだが、「演歌歌手に楽譜はいらない」と教えてくれなかった。いまだに坂本冬美は楽譜が読めないため、歌詞に独自の記号を書き込んで曲を覚えるそうである。

坂本冬美との関係は自身の著書「酒と演歌と男と女」、山口洋子著「背のびして見る海峡」に詳しい。

1993年に肺癌のため死去(享年55歳)

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猪俣公章が作曲し坂本冬美が歌うオリジナル曲は71曲(注)にのぼる。一人の歌手に対する作品数としては非常に多い。それでもまだまだ坂本冬美に歌わせたい歌のアイディアがあったようだ。

(注)坂本冬美はTV番組などで「私のために猪俣先生が作曲してくれた曲は66曲」と語ることがある。これは以下の5曲を除いたものだと思われる。
「あばれ太鼓~無法一代入り~」 :原曲「あばれ太鼓」の二番を別の曲である「無法一代」に入れ替えた所謂アンコ入り。
「男の情話~セリフ入り~」 :原曲「男の情話」にセリフを入れたもの。
「平成5・5音頭」 :村田英雄の芸能生活55周年記念曲として作られた坂本冬美とのデュエット曲。
「流れ星」 :猪俣公章の死後、詞のついていなかった未発表曲に山口洋子が作詞しアルバム「追伸」に収録。
「星に祈りを」 :1980年に都はるみが発表した「北旅情」と同一メロディである。当初、猪俣公章の「未発表曲」としてアルバム「星に祈りを~猪俣公章作品集~」に収録して発売。その後、都はるみの曲としてすでに発売されていたことが判明し、自主回収となった。その後、関係者の了解を得た後、再発売となった。

No曲名作詞作曲収録アルバム発売日
1 あばれ太鼓 たかたかし 猪俣公章 あばれ太鼓 1987年4月22日
2 あじさい酒場 里村龍一 猪俣公章 あばれ太鼓 1987年4月22日
3 人生どまん中 麻こよみ 猪俣公章 あばれ太鼓 1987年4月22日
4 冬未練 麻こよみ 猪俣公章 あばれ太鼓 1987年4月22日
5 湯の町あかり たかたかし 猪俣公章 あばれ太鼓 1987年4月22日
6 あばれ太鼓~無法一代入り~ たかたかし 猪俣公章 坂本冬美 最新ヒット大全集 1987年11月25日
7 行っちまえ 麻こよみ 猪俣公章 坂本冬美 最新ヒット大全集 1987年11月25日
8 沈丁花の女 たかたかし 猪俣公章 坂本冬美 最新ヒット大全集 1987年11月25日
9 夢ひろい 麻こよみ 猪俣公章 坂本冬美 最新ヒット大全集 1987年11月25日
10 祝い酒 たかたかし 猪俣公章 祝い酒 1988年4月29日
11 雨あがり 麻こよみ 猪俣公章 祝い酒 1988年4月29日
12 花の勝負師 池田充男 猪俣公章 祝い酒 1988年4月29日
13 角番 麻こよみ 猪俣公章 祝い酒 1988年4月29日
14 帰りの連絡船 池田充男 猪俣公章 祝い酒 1988年4月29日
15 冬の蝶 石原信一 猪俣公章 祝い酒 1988年4月29日
16 北のおんな唄 里村龍一 猪俣公章 祝い酒 1988年4月29日
17 春待ち心 麻こよみ 猪俣公章 坂本冬美ニュー・ベスト 1988年11月26日
18 男の華 吉岡 治 猪俣公章 坂本冬美ニュー・ベスト 1988年11月26日
19 夢ほたる 里村龍一 猪俣公章 坂本冬美ニュー・ベスト 1988年11月26日
20 恋のわかれ道 たかたかし 猪俣公章 坂本冬美ニュー・ベスト 1988年11月26日
21 海峡の詩 里村龍一 猪俣公章 坂本冬美 全曲集 1989年10月25日
22 男の情話 松井由利夫 猪俣公章 男の情話 1989年4月12日
23 艶花恋 池田充男 猪俣公章 男の情話 1989年4月12日
24 寒流 麻こよみ 猪俣公章 男の情話 1989年4月12日
25 泣いてアカシア 池田充男 猪俣公章 男の情話 1989年4月12日
26 出逢い酒 里村龍一 猪俣公章 男の情話 1989年4月12日
27 男節 松井由利夫 猪俣公章 男の情話 1989年4月12日
28 万祝 星野哲郎 猪俣公章 男の情話 1989年4月12日
29 人生将棋 里村龍一 猪俣公章 坂本冬美 ベストナウ 1989年11月1日
30 大漁旗 麻こよみ 猪俣公章 坂本冬美 ベストナウ 1989年11月1日
31 男の情話(セリフ入り) 松井由利夫 猪俣公章 坂本冬美 ベストナウ 1989年11月1日
32 風花の駅 麻こよみ 猪俣公章 坂本冬美 ベストナウ 1989年11月1日
33 平成5・5音頭 石本美由起 猪俣公章 坂本冬美 ベストナウ 1989年11月1日
34 能登はいらんかいね 岸本克巳 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
35 オホーツク恋唄 池田充男 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
36 とことん節 星野哲郎 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
37 人生花吹雪 松井由利夫 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
38 漂泊無情 池田充男 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
39 浜っ娘一代 石原信一 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
40 北演歌 たきのえいじ 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
41 夢おんな 石本美由起 猪俣公章 能登はいらんかいね 1990年5月23日
42 あらくれ 石原信一 猪俣公章 坂本冬美 選曲集 1990年12月05日
43 あんちくしょう 麻こよみ 猪俣公章 坂本冬美 選曲集 1990年12月05日
44 港恋挽歌 たきのえいじ 猪俣公章 坂本冬美 選曲集 1990年12月05日
45 白鷺物語 松井由利夫 猪俣公章 坂本冬美 選曲集 1990年12月05日
46 火の国の女 たかたかし 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
47 あばれ船 松井由利夫 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
48 おとこの劇場 松井由利夫 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
49 おんなの春 池田充男 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
50 ねぇ おまえさん たきのえいじ 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
51 幸せ尋ね人 石本美由起 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
52 紅葉川 山口あゆみ 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
53 男の艶歌 なかにし礼 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
54 男意気 麻こよみ 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
55 東京しぐれ たきのえいじ 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
56 恋待小唄 松井由利夫 猪俣公章 火の国の女 1991年5月31日
57 男惚れ 星野哲郎 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
58 さがの路だより もず唱平 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
59 サンシャイン上海 たかたかし 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
60 シバテン小唄 星野哲郎 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
61 すすき川愛愁 池田充男 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
62 ひとり寝女の泣き枕 星野哲郎 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
63 蛍草 坂口照幸 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
64 港町愛歌 池田充男 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
65 三幕芝居 たきのえいじ 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
66 雪舞い津軽 松井由利夫 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
67 日本海ブルース 池田充男 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
68 松井由利夫 猪俣公章 男惚れ 1992年6月24日
69 船で帰るあなた 池田充男 猪俣公章 坂本冬美メモリアル・ベスト 1993年9月29日
70 流れ星 山口洋子 猪俣公章 追伸~冬美こころの猪俣メロディー~ 1999年6月9日
71 星に祈りを たかたかし 猪俣公章 星に祈りを~猪俣公章作品集~ 2006年7月19日


2018年10月8日に放送されたラジオ大阪「熟メン!野村啓司です」に坂本冬美さんがゲスト出演

野村啓司さんといえば「乾杯!トークそんぐ」のMCをやられていた方ですね
気心の知れたお相手とくつろいだ感じのやわらかな関西弁の混じったトークが心地よかったです

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一部書き起こし

(野村)眼の前にいらっしゃるから言うんじゃないんですが、綺麗でございます
(冬美)いや~
(野村)ホントにお綺麗!
(冬美)いや野村さん、最初がひどかったからね(笑)ようやくここまでこれました(笑)ホントに!
(野村)いや、あの、猪俣公章さん、坂本冬美さんの恩師、猪俣公章さんが坂本冬美の第一印象は田舎のモダンガールだと
(冬美)あ!そうなんです私のことをね、モダンガールと言っていただいてるのはちょっと言葉選んでくださってますね
(野村)あ!ホンマ?(笑)
(冬美)絶対ツッパリやったやろと、言うんですよ(笑)その当時流行ったソバージュ
(野村)あぁ、チリチリと
(冬美)チリチリと、で一応そのときにDCブランドの、田舎でアルバイトして買ったコムサデモードの黒いスーツを着て、先生と初めてお会いしたわけですよ、ですから田舎のツッパリが来たと思ったそうなんです!だからモダンガールというのはものすご言葉選んでくださってます
(野村)言葉選んでおられる師匠、どれほど坂本冬美と出会ったことが嬉しかったか!そしてあるご本、猪俣先生がお書きになった本なんですけれども、「酒と演歌と男と女」という、で冬美さんのコーナーがあって、もう弟子としては優等生だった、そう語っておられます
(冬美)あぁ!ありがたいですねぇ!
(野村)一を言えば百わかってくれる、車の運転、掃除、食事、全部やってくれた
(冬美)あぁ~まぁ私が先生のところに内弟子に入らせていただいたときは、猪俣先生は森進一さんのヒット曲をたくさんお書きになりましたが、少し・・・えぇ何て言うんでしょうか・・・あの活動がね・・・
(野村)スランプ!
(冬美)ですね!だったんですね!私が初めてお宅に伺ったときには犬が家の中にいて、柴犬ですよ!男のお弟子さんが大勢いて、とにかくこのお宅が大作曲家の先生のお宅か?っていうくらい、もう男所帯でお掃除とか行き届いてなかったんですよ!ホントに!で私なぜか変なところに火がついて、まず掃除をきっちり全部したんです!例えば先生のタンスを開ければ着替えのものがホントに雑にたたまれてて、それがばーっと落ちてくるような、で私全部たたみ直して、隅々まで、押入れも全部掃除したんですよ!それで先生少し、なかなか便利なやつが来たなと(笑)思って頂いたんだと思うんですけど、またそこに男のお弟子さんが丁度いいと、皆さん長年いらっしゃるから変な話やめるタイミングっていうのはなかなかみつからなくて、何人かいらっしゃって先生のところからお寿司屋さんにアルバイトに行くとかね、そんなお弟子さんも
(野村)あぁそうだったの!
(冬美)そういうお弟子さんがいらっしゃったり、先生のもとでアレンジですとか作曲を勉強してらっしゃる方もいらっしゃいましたけども、そんな中で男の人から運転手まで命じられて
(野村)冬美さんがねおっしゃる車!運転手!ベンツ!猪俣さんが夜の街に遊びに行って3時間も4時間も次から次へ店行って、坂本冬美は車の中でずーっと待っていた、ベンツで待ってた
(冬美)そうですねぇ、まだ19歳ですからね、六本木の、ホントに六本木通りの外国の方も大勢いらっしゃる中で私もうドキドキしながら待ってるわけです、いまみたいに携帯電話もないですから、とりあえずその当時乗ってればまだ路上駐車もできたんですね、で警察官の・・・あ、警察官じゃなくて、ん?何?あの六本木にある・・あのぉ・・・
(野村)交番所?
(冬美)交番所!の前に車停めたんです!いっつも!
(野村)まぁ安全といえば安全
(冬美)安全なんで、そこでいつも待ってたんです
(野村)おしっこ辛抱できなかったって?
(冬美)そうそれはね(笑)これはねぇ、猪俣先生が取材をなさって、そのときにご一緒だった太地喜和子さん!皆さんお酒を飲みに行かれて、夜中の2時、3時くらいになったんです、でお手洗いに行くタイミングがつかめないんですよ、もし車をおいてお手洗い行ってる間に帰ってきたらどうしよう、電話がないから、でずーっと何時間も車の中で泣きながら待ってましたね!もうそしたら何で泣いてんだと今度は怒られるし
(野村)これも修行だ
(冬美)そうそうこれも修行だと言われればそれまでですし
(野村)先生は銀座とかクラブで飲んだ美人たちを坂本冬美運転の車で送らせたという話も聞いたことがある
(冬美)あぁ~ありましたねぇ!でもホントにスランプで色んな意味で大変なときにね、そのお姉さま方にチップとかいっぱいあげちゃうわけですよ先生が(笑)気前いいですから、たっ!はっ!おっ!と言いながら
(野村)そう(笑)
(冬美)そうなんです、ですから私は心で、はぁ先生結構家計も大変だと思うんですけどと心の中で思いながら、そんな大盤振る舞いしてぇ!って、でもやっぱりどんな状況でも表に出たら猪俣公章!大作曲家の猪俣公章!っていうその姿をね見せていただきました
(野村)リスナーの皆様のために念のために申し上げますが森進一さんの女のためいき、おふくろさん、坂本冬美さんの一連のデビューからのヒット曲、そして五木さんの千曲川、それから藤圭子さんの京都から博多まで、君こそわが命!これほど、ほんの一部です今、大ヒット曲をお書きになった歌謡界に残る大作曲家、でもスランプってあったんですね
(冬美)それは私も知らなかったんですが、先生の内弟子に入ったときに、あっそうだったんだと初めて知ったんですけども
(野村)で猪俣さんがお書きの本に、俺は坂本冬美と出会って救われた、正直お書きに、やっとすごいの出てきた!ほんとに書いてある
(冬美)そんな風に思っていただけたと思うともう感謝しかないです、私も先生に出会ったおかげでこうやってデビューさしていただいて、気がついたら32年目に・・・今先生がいらっしゃったらどんな風に歌を聴いてくださって、どんな批評をしてくださるやろなぁ、アドバイスしてくれるやろなぁっていうのを思うんですけどね、う~ん
(野村)冬美さんと猪俣先生のお付き合いは10年くらいのもんだったわけですか?
(冬美)そんなになかったです、丸7年、8年ですかね、デビューして7年目に亡くなられたのかな、はい
(野村)力の入れようっていうか、あばれ太鼓を出すとき7曲か8曲猪俣先生は用意したんですって?
(冬美)8曲作曲してくださいました
(野村)普通、俺はそういうことしないって書いてある(笑)
(冬美)あっ、ホントですか?
(野村)7曲も8曲も一人のデビュー曲のためにね・・・その中からあばれ太鼓が選ばれた
(冬美)はい、それなのに私なんて言うたか知ってます?
(野村)なんちゅう言わはったん?
(冬美)あばれ太鼓、もちろんそう、8曲の中にはしっとりした女歌もありました、私は石川さゆりさんに憧れて歌手になりたくて、で、あばれ太鼓は真逆の歌ですよ
(野村)男歌
(冬美)男歌!どうも自分の中でしっくりこなかったもんですから、もうこうデビュー曲ってついてまわりますからね一生、ですから気持ちだけは伝えておこうと思って(笑)、先生・・・ちょっと酔うたところを見計らって・・・この曲は多分流行らないと思います!って言うたんです(笑)
(野村)ホンマ?本当?
(冬美)バカヤローって(笑)バッキャローって言いましたでしょ
(野村)言うた!バッキャロー
(冬美)バカヤロー新人が売れるとか売れないとか百年早~い!って怒られましてね(笑)今思えば若気の至りでしたけど、いや~あの時あんなこと言うてしまったけど、あの曲やったから今があるんやなって
(野村)祝い酒、男の情話、能登はいらんかいね、火の国の女、まぁ女歌もありましたけど猪俣ワールドでしたねぇ
(冬美)そうですねぇ!はい
(野村)あれほど賞をもらった、先生も本当お喜びだった、凄かったですね
(冬美)もうこれはレコード会社の人もそうですし、スタッフもそう、事務所の人もそうですし、もちろん猪俣先生も、みんなが一丸となって盛り上げてくださったおかげでたくさんの賞をいただいて・・・でも忘れられないのが初めて紅白に出させていただいたときに、泣くな冬美!って言うわけですよ、紅白
(野村)泣いちゃダメだぞ
(冬美)だめだぞって、歌にならないぞ泣いたら、はい!わかってます!って、しっかり歌ってこい!と背中を押された本番望みました、で泣いちゃいけない泣いちゃいけないと思って泣かずに歌って、もうコーダで、もう、こうこみ上げてきますからね
(野村)歌の最後で
(冬美)最後で!泣かずになんとか先生歌えました!って心の中で思いながら、もうわんわん泣きながら袖に引っ込みました!で後日談ですけども、それを猪俣先生がご自宅で先生とその当時のディレクターの熊井というものが一緒に見てくれてたそうなんですけど、よし!いいぞ!よし!って言いながら涙を流しながら聴いてくださっていた、観てくださっていたっていうのを聞いて、まあもう・・・なんか
(野村)どれほど嬉しかったか、心配なされた、ドキドキもされたんですね
(冬美)はい
(野村)それで後輩の歌手のみなさんが冬美ちゃんに手を、冬美さんに手を握られて心が落ち着きましたっていう、紅白のときに
(冬美)誰だろう?
(野村)石原詢子さんだったか?
(冬美)えぇっ?詢子ちゃん?
(野村)いや、どなたかがね、島津亜矢?どなたかがねぇ、同じこと言ってた!冬美さんに手を握ってもらったって
(冬美)えぇー!?
(野村)もうドキドキして怖くて、舞台に出ていくのが怖くてしょうがないときに、大丈夫よって言って冬美さんに手を握ってもらった、そんなエピソードを聞いたことがある
(冬美)ホントですか?
(野村)はい
(冬美)わぁー!
(野村)繰り返していくわけですねぇ!

コンセプトシングル『ふるさとの空へ』のジャケットのお話
御年96歳のはり絵作家の内田正泰先生の800近い作品の中からの1枚
選んだ1枚の制作年月が作品の裏に書かれていたそうで
それがなんと昭和62年3月
そうです!冬美さんのデビューした月ですよ!
そのご縁に鳥肌がたったという冬美さん

そして野村さんと冬美さんのはじめての出会いの話
「乾杯!トークそんぐ」の初回の出演が村田英雄さんと坂本冬美さん、そしてレギュラーの猪俣公章先生だったとのこと
初回放送が1989年7月6日で冬美さんは通算27回出演しているそうである(Wiki情報)
全部観てみたいもんである

村田さんからあばれ太鼓が10万枚を超えた記念に太鼓のバチをいただいたというエピソードも




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